EVENT 「私たちの部落問題vol.2」トークセッション


第2部トークセッションでは、土肥いつきさんによるレクチャーを受けて、ABDARCメンバーとのトークセッションが行われました。カミングアウトする側の意識とは?土地の名前をリスト化することの問題点とは?仲間とは?そして、今後の展望は…。盛りだくさんの内容を全6回に分けてお送りします。

 

第4回目は「一番言いたくないことは、一番わかって欲しいこと」です。

 

登壇者  土肥いつき …京都府立高校教員

     阿久澤麻理子…大阪市立大学教員

     上川多実  …BURAKU HERITAGEメンバー

     川口泰司  …(一社)山口県人権啓発センター事務局長

 

第1回目の「地名をさらすことの問題点とは?」はこちらから

第2回目の「部落の外に住む部落出身者が抱える困難」はこちらから

第3回目の「受け止めてくれるマジョリティの存在」はこちらからご覧いただけます。


●一番言いたくないことは、一番わかって欲しいこと

 

川口

 部落差別については、これまでも各地で差別事件はあったんですけど、ここ5年~10年くらいででは露骨で確信犯的な事例が増えています。これまでは「つい、うっかり差別的な発言をした」など、「つい、うっかり系」の差別事件も多かった。でも、今は、確信犯的なレイシストや鳥取ループのように「新しいレイシズム」として、差別を正当化する主張し、差別を扇動するグループが現れてきた。

 

 鳥取ループは「部落民を殺せ」とか「死ね」とかっていう風な露骨なヘイトスピーチは言いません。部落の所在地や部落出身者の個人情報を不特定多数にネット上で公然とばらまき、「差別するかしないかは、お前たちの自由だ」という形で、「自分たちは情報を公開しただけ。部落差別なんかしていない。その情報を使って、部落差別をするやつが悪いんだ」というスタンスなんです。わかりにくいかもしれないけど非常に危険な行為をしているんです。

(撮影:片岡遼平)

 ネット社会が到来する以前の同和教育や部落解放運動では、部落問題の出版物や機関紙、報告書、書物に書く地名や人名等などが、現在のようにネット上で不特定多数に晒され、差別的に利用されるということを想定していませんでした。

 

 鳥取ループ・示現舎は「自分たちが出した出版物じゃないないか。その情報(地名等)を二次利用して、ネット公開して何が悪い」と主張し身元調査などの差別的に利用価値のある情報に編集・加工しし、不特定多数に晒し続けています。。裁判がスタートしても、コピーサイトなどがたくさん出回り、とても危険で深刻な状況だし、これからどうしたらいいのかと悩んでいました。


 そんなときに、部落問題、人権問題に取り組む研究者や反ヘイトに取り組むカウンターの人たちが、なんとかしようと、ともに闘うよ、協力するよと申し出てきてくれて、ABDARCを立ち上げることができました。

 

 そして、この一年間を通して、少しずつ仲間も増え、きちんと情報を出せば部落問題に関心を持ってくれる人も増えてきた。マイノリティががんばるのではなくて、マジョリティだからこそやれることがたくさんある、その人たちと「つながる」ことによって、壊された社会が修復されていっている、今そのプロセスにあると思っています。

 

土肥

 人権教育の授業をした後の生徒の感想で、「自分の近くに部落がある」と書いた生徒の感想文を、資料に載せるかどうかという議論があったんですよ。そんなことを書いたら部落の存在を教えることになる。っていうんですね。私は「だってあるんだから」って思うんですけど、個人情報保護法が施行された15年くらい前から、そういう情報を出してはいけないという雰囲気になってきた。でも、「出してはいけない」となるから、晒す行為をする人が出てくるんですよ。そういう意味では、あえて「打って出る」という必要もあるんじゃないかなと思うんですよね。

 

 先日、嬉しいことにある生徒の作文で「自分は在日の友人をいじってきたけど、自分も部落出身で、そのことをいじられるのは嫌だから、もうそんなことはやめる」と書いてきてくれた生徒がいたんです。その生徒に話を聞くと、自分以外にも部落出身の生徒がいることを知っていたんですね。そんな風に、本人たちが隠しているだけで周囲は知ってたりするんですよ。だけどそれを本人が隠すから、暴くという行為が出てくる。そのあたりを、どうしていくのということが突破口なんじゃないかって気がするんですよ。

 

上川

 私は、先ほどいつきさんの話にあった、心の中の「箱」が、部落問題に関しては今まで一度もなかったんですよ。それは周囲の人が、部落問題を知らない、でも、部落差別は身近にある、っていう状況の中で、「部落問題がない」と思われるのがとにかく嫌だったから、自分からどんどんカミングアウトして、いつきさんと同じように「ひとりパレード」状態で今までやってきたんです。

 

 でも「部落の出身だ」ってことは見た目ではわからないから「バレバレ」状態にはなれない。だから自分からどんどんカミングアウトするしかなかったんです。

 

 私はそんな風に自分から「打って出て」生きてきたんだけど、それはとてもよかったって思ってるんです。そのおかげでいろんな人と出会えたし、豊かな経験をさせてもらったなって思ってるから。

 

 部落の人って、みんなが私みたいに、部落のことを語っている訳ではないし、こんな風に自分の事を隠さずにひとりパレードしている人の方が、部落の中では少数派ですよ。でも、そうやって隠さずに生きていける人が増えるのもいいなって思ってるし、そういう人が増えるためには、周囲のマジョリティの人たちが、どれだけ部落問題について理解しているか、学ぼうとしてくれるかにすごくかかってるなって思ってます。

 

土肥

「マジョリティ」って、簡単に分けることは出来ない気がするんですよね。マジョリティの中にも、その人にはマイノリティ性を持っている部分もあるわけで、部落の「箱」はなくても、その人にとっての他の「箱」はあるから、そこでつながっていけるという感じかなって思います。

 

川口

 今日の土肥さんの資料にもある、「一番言いたくないことは、一番わかって欲しいこと」という言葉。これは同和教育でもよく使われてきた言葉で私も好きだしすごくストンと自分に落ちるフレーズなんです。

 

 私にとっては、部落出身ということは自分のアイデンティティとしては大きい。でも、そこまで大きな位置をしめていない部落出身者もいて、個人差はあります。でも、私にとっては、部落出身ということはすごく大事なことなんです。友人や恋人など、親しくなれば、なるほど、その事を抜きには自分の事を理解してもらえない。いろんな場面において、その事を抜きには、自分のパーソナリティを理解でないから、分かって欲しくなる時があるわけです。

 

 その時に社会やその相手が部落問題について、無知・無理解であれば、出すのは怖い。でも、自分が語り、可視化されないと、理解されない。そんな不安の中でも、本人たちはなんらかの必要性を感じ、プラスの可能性にかけてカミングアウトしていくんだと思うんです。

 

 そして、そこで、しっかりと受け止めてもらえたら、すごく安心できる。それは安心して語られる場があったり、仲間であったり、そういう人がいることが、すごく大事だと思う。

 

(第5回「(質疑応答)部落問題学習の現状は?」に続きます)