EVENT 「私たちの部落問題VOL.2」 トークセッション


第2部トークセッションでは、土肥いつきさんによるレクチャーを受けて、ABDARCメンバーとのトークセッションが行われました。カミングアウトする側の意識とは?土地の名前をリスト化することの問題点とは?仲間とは?そして、今後の展望は…。盛りだくさんの内容を全6回に分けてお送りします。

 

第1回目は「地名をさらすことの問題点とは?」です。

 

登壇者  土肥いつき …京都府立高校教員

     阿久澤麻理子…大阪市立大学教員

     上川多実  …BURAKU HERITAGEメンバー

     川口泰司  …(一社)山口県人権啓発センター事務局長


●地名をさらすことの問題点とは?

 

川口

 みなさん、こんにちは。私は第2部のコーディネーターをさせていただく、川口泰司と申します。私は愛媛県の部落出身で、中学生の頃から解放運動に取り組んできました。現在は山口県で活動しており、今回の原告の一人でもあります。

さて、後半のトークセッションでは、単に「暴く」という行為がダメだとか、カミングアウトして生きる方がいいんだ、というような議論ではなく、ルーツを語れなくさせている社会ってなんなのか、語りたくなる、名乗りたくなる時って、どういう時なのか、自身の思いなども重ねあわせながら、みなさんと議論していきたいと思っています。

 

 まずは、登壇者の方に簡単な自己紹介をお願いします。

 

(左から川口泰司、土肥いつき、上川多実、阿久澤麻理子 撮影:片岡遼平)

上川

 私は関西の部落出身の両親のもと、東京の部落ではない地域で生まれ育った部落出身者です。今は二人の子どもの子育てをしながら、BURAKU HERITAGEというウェブサイトの運営や、ABDARCの活動もやっていて、今回の裁判の原告の1人です。

今、被告の鳥取ループや示現社を批判したり、こんな感じで目立った活動をする人に対して、ネット上で誹謗中傷や個人情報がどんどん晒されていくという事態になっていて、今日ここに登壇している人は、全員、同和地区wiki の中に一人ずつのページが作られているんですよね。


  私のページは、住所や名前が載せられていて、家系図まで作られています。

あと、以前トークイベントをやった時の動画からキャプチャしたと思われる、鼻をほじっているように見える瞬間の写真を、悪意ある感じで載せられたりもしています。

 

阿久澤

 私は研究者として今日ここにきていますが、教育という意味では土肥さんと近いかなと思っています。

 

 土肥さんの話を聞いての感想ですが、私たち教育に関わる者として、生徒の「本名宣言」や「部落民宣言」に教員が関わる時は、アウティングではなく、その子のエンパワーメントのためということが大事だと思っています。

 

 現在の人権教育・啓発で欠けているのは、差別や人権侵害を受けたとき、具体的にどう闘うのかということだと思うんですね。こういう事をされたら、どう言い返したらいいのか、どう闘えばいいのかというようなことは、ほんとに誰も教えてくれず、一人で悩んでいる人たちがたくさんいるわけです。そういう教育・啓発の取り組みが、すごく大事だと痛感しています。

 

 今日は、教育や啓発をやっている研究者の立場から、今回の裁判、示現舎のアウティングの問題について考えてみたいと思うのですが、まずは部落の地名をさらすことの何が問題なのかを踏まえてもらいたいので、少し説明をします。

 

 部落問題の特徴としては、封建時代の身分制度に由来するというのがあります。

封建時代、個人は「身分」「職業」「居住地」が一致していて、これらが一体的に差別を受けていました。

 

 明治以降の近代化・都市化の中で人々は移動し、結婚もしていく。そうすると、旧身分と「人」と「土地」が一致しなくなる状況が生まれてきたんですね。そのため、部落出身者かどうかを調べるために、先祖をさかのぼり調べる「系譜的身元調査」が行われてきました。

 

 しかし、部落解放運動の成果によって、現在は戸籍の閲覧制限や身元調査規制の取り組みが強化されているため、系譜的な身元調査が困難になってきています。そのために近年では、部落というものを「人」(属人性)より「土地」(属地性)で判断するようになってきている状況というのがあります。

 

 各地の部落問題に関する意識調査の結果を見ると「結婚相手が部落出身者だったら、どうするか?」との質問と、「引越先が部落の土地にある物件」であった場合どうするかの質問をした場合、結婚で部落出身者という「人」を忌避するより、部落という「土地」を忌避する人の方が多くなってきているんですね。

                    (どちらのグラフも2016年姫路市人権意識調査より)

 

 「人」より「土地」への忌避意識の方が強いのは何故なのか。それは、部落という「土地」に住むと、自分も部落出身者だと「みなされる」かもしれないという心境が働くからではないかと、奥田均さんが指摘しています。

 

 つまり、示現舎の行為(部落の地名一覧公開)は、近代化・都市化の中で、変容していく差別意識を利用し、巧妙に差別扇動しているということだと思っています。

現在の部落差別の特徴は、戸籍の閲覧制限等の取り組みにより、「人」に対する系譜的な身元調査が難しくなっており、逆に「土地」というものを指標に部落差別が行われているようになっているということではないかと思っています。

  

 示現舎は「自分たちは単に部落の地名(所在地)を明らかにしているだけだ、何が問題なのか」と主張しているんですが、その行為がいかに現在の部落差別を誘発・助長する危険な行為であるのかということ指摘したいです。

 

川口

 部落差別が他の差別問題と違う点は「人」だけなくなく、「土地」というものにも関係しているところだと思います。部落出身者でなくても、その「土地」に引越して住めば、周囲からは部落出身者として「みなされ」差別される可能性が生じる。そのために、その「土地」を忌避する人たちがいる。だから、「部落地名総鑑」の販売、ネット公開というのはとても危険であり、問題だということなんです。

でも、この事は、部落差別の現実と特徴を知らなければ、なかなか理解してもらえない。

 

 示現舎が悪質なのは、部落の「土地」と「人」をさらに特定しやすくする仕組みを作って、ネット上で活用できるようにしたことです。

「同和地区wiki」というサイトを立ち上げて、全国の部落の「地名」(住所)だけなく、各市町村別に部落出身者の「名字」リスト(1万人以上)、解放同盟員等の氏名・住所・電話番号等(「解放同盟関係人物一覧」)を1000人以上を、本人承諾なくネット上で公開し、拡散をあおってきました。

 

 さらに、示現社の代表Mは、「住所でポン」(現「ネットの電話帳」)というアプリを作成しました。このアプリはNTTの電話帳の情報を無断で二次利用して作成されています。知りたい住所の地名を入力すれば、その地域に掲載されている電話帳の契約者氏名・電話番号・住所が分かるというものです。現在の「ネットの電話帳」のアプリは、調べたい人の名前を入力すれば、契約者の住所と電話番号がヒットするという形になっています。

 

 「どこが部落か」(土地)を調べるための「部落地名総鑑」(「復刻版・全国部落調査」)のデータと、その土地に住む「人」の一覧リストが、「同和地区wiki」という同じサイトに仕組まれているということなんですよね。

「土地」と「人」を指標に、部落を忌避したい人にとっては、これほど、便利なサイトはないということ。示現社は確信犯的に、部落差別の「アウティング」装置として、もっとも効果的なシステムを作りだし、ネット上で拡散をあおり、使用促進を扇動したということです。

 

第2回目の「部落の外に住む部落出身者が抱える困難」に続きます)