EVENT 「私たちの部落問題Vol.2トークセッション」


第2部トークセッションでは、土肥いつきさんによるレクチャーを受けて、ABDARCメンバーとのトークセッションが行われました。カミングアウトする側の意識とは?土地の名前をリスト化することの問題点とは?仲間とは?そして、今後の展望は…。盛りだくさんの内容を全6回に分けてお送りします。

 

第3回目は「受け止めてくれるマジョリティの存在」です。

 

登壇者  土肥いつき …京都府立高校教員

     阿久澤麻理子…大阪市立大学教員

     上川多実  …BURAKU HERITAGEメンバー

     川口泰司  …(一社)山口県人権啓発センター事務局長

第1回目の「地名をさらすことの問題点とは?」はこちらから

第2回目の「部落の外に住む部落出身者が抱える困難」はこちらからご覧いただけます。


●受け止めてくれるマジョリティの存在

 

川口

 前回は6月に上智大学の「立場の心理学」という授業の中で、第1回のイベントをやりました。その時は「マジョリティ特権を考える」という授業の一環でした。差別問題というのは、マジョリティのありが問われているんだと。カミングアウトは、受け止める側が、どれだけカミングアウトしやすい状況を作るかが大事だということなんですよね。

 

 どんなマイノリティも、マジョリティ側の理解者や仲間との出会いの中でエンパワーされていったプロセスがあると思うんですが、土肥さん自身はいかがでしたか?

 

土肥

 私は元々、男だったんですね。高校の教員になって、部落や在日の生徒たちの関わりのなかで、その子たちが友だちやクラスの中でカミングアウトし、出会い直しをしてく場面を、リアルタイムで見てきました。

 

 そんな自分も実は、小さい頃から誰にも言えない事があったんです。小さい頃から、女性の身体に興味があったりとかですね。女性の身体にあるパーツや女性の服を自分にも付けたかったんです。でも、女性の服を親に買ってって言えないから自分でレオタードや女性用の服を作り、こっそりと着ていました。

(撮影:片岡遼平)

 

 そういうのは隠そうって思ってたんですけど、「隠す」のは簡単で、心の中に箱を作って、その箱の中に、そんな自分を放り込んで、フタをするだけなんです。隠し事をしている自分がしんどかったかと言えば、しんどくなかったんです。だって、箱があるのが私で、箱があるのが当たり前なんですよね。当たり前のことってしんどいとは認識しないんです。24時間、365日その箱は自分の中にあって、箱があるということ自体を忘れてしまうんですよ。

 


 でも、たまに、そのフタがパタンと開くときがある。初めてこの箱のふたが空いたのは小学生だった頃、カルーセル麻紀さんをテレビで見たときです。手術をすれば女性になれるんだ!って思ったんです。でも、自分がカルーセルさんみたいになれるかと言えば、一小学生には無理だと思って、すぐにそんな自分の事を箱の中に放り込んで、フタを閉めました。そしたらまた箱の存在を忘れちゃうんですよね。そうやって、小中高と過ごしてきて、教員になりました

 

 とっても楽しい充実した人生なんですけど、ただね、いつでも心の中で思ってるんですよね。

「なんで言えへんねん」って。

 

 解放教育に取り組むなかで、圧倒的多数の子は自分が在日だとか部落だっていうことは言えないんですよね。そういう時にいつも「なんで言えへんねん」って思ってたんですよ。「君らの問題は、人権問題やろ」「私の問題は、人権問題でなく、変態の問題、恥ずかしい話。それに比べたらマシやないか」と本音では思っていたんですね。今から思えば、ほんとに冷たい教員だったと思うんですよ。

 

 そんな私が1997年に「トランスジェンダー」という言葉に出会いました。それをきっかけに、性別を変えていく生き方に変わっていったんです。

 

 こんなふうに言うと、いつきさんって強い人なんだなって思われるかもしれないんですけど、私は一人で女性に変われたのではないんです。私にはたくさんの仲間がいたんです。そして、私を変えてくれたのは、特に女性たちだったんですね。「いいよ、いつきちゃん、こっちおいで。」っていってくれたんです。私が私の意志で変われたんじゃなくて、「いいよ、いつきちゃん、こっちおいで。入れてあげるよ」って言ってくれる人たちがいたから変われたんですよね。

 

 その中の1人が今日ここにいる阿久澤さんなんですけど、仲間ということで言えば、「こっちおいで」と言ってくれる側の人たちも変わっていくんですよね。例えば私と一緒にお風呂に入るということは、リスクも引き受けてくれていることなんです。それでも、一緒にお風呂に入れてくれるわけです。それって私にとってはとても素敵な関係だし、その人たちがいたから出来たんだなって思っています。

 

阿久澤

 私は「入って!」って言って、一緒にお風呂に入りました。その時はわかり合ったつもりでいたのに、その後会った時、喋りながら「とてもオッサンくさくていやだな」って思う時があったり、私の中にも、ずっと、揺れがありました。でも、女性だから、誰でも信頼できるわけじゃないですよね。ようやく、いつきさんとわたしの、大切な固有の関係を作るまで、何年かの時を経て今に至りました。関係性なんて、そんなにすぐに出来ることじゃないですよね。ゆっくりやりましょう。

 

川口

 レクチャーでの 土肥さんの話で、自分がカミングアウトをするということは、家族のアウティングになってしまうという話がありましたよね。私もそうで、私が部落出身者だと言って、各地で講演することは、自分の親や兄姉、家族や子どもも部落出身者だというアウティングになっている。私が生まれ育った地域に住む人たちのアウティングにもなっている。つねにそのリスクを背負いながら、取り組みをしてきました。そこをどう考えるのか。

 同じ事実を明らかにするという結果であっても、たとえリスクがあったとしても、プラスの可能性にかけて本人の責任においてカミングアウトしてきました。また、人権研修やフィールドワークなどで地域の歴史や差別の現実を語ったり、生活実態調査や被差別経験の聞き取りなどの調査を行ってきたことは、部落問題解決のために行われてきました。示現舎らのように、単に部落の所在地や人名を突き止めるというも目的で行われる行為とはまったく異なりますこの辺りことを、少し議論を整理する必要があると思っています。

 

上川

以前、BURAKU HERITAGE(http://www.burakuheritage.com/)で、部落の地名を明かすのは「アリ」か「ナシ」かというテーマで座談会をしました。あるメンバーは、自分が住んでいる部落がすごく好きで、そこで育ってよかったと思っていて自分の地域名を明らかにして語りたいと思ってる。でも、じゃあその時に、その地域の人、全員からOKが出るかというと、イヤだと思ってる人もいるかもしれない。そこはすごく難しい。じゃあ、全員のOKが出ていないと、自分の大好きな部落、地域の名前を隠さないといけないのか。それは本人にとってはすごく引き裂かれる思いだと思うんですよね。カミングアウトっていうのは家族とか地域とかがくっついてくるから引き裂かれる部分もあると思うんですよ。

 

(第4回目の「一番言いたくないことは、一番わかって欲しいこと」に続きます)