EVENT  「私たちの部落問題vol.2」 第2部土肥いつきさんレクチャー


 第2部前半では、長年人権教育にたずさわってきた土肥いつきさんに「語ること/隠すこと/さらすこと」をテーマに、カミングアウトとアウティングについてのレクチャーをしていただきました。

 生徒たちのカミングアウトに向き合ってきた日々を通して今思うこと、そして「カミングアウト」と「アウティング」の境界線とは…。

 レクチャーの内容を再構成したものを、7回に分けて掲載していきます。

 

 

第4回目は「語ること、隠すこと、さらすこと」です。

             

第1回目の「去っていった生徒」はこちらから

第2回目の「本名宣言は1つの到達点であると同時にそこからが本当のはじまりなのです」はこちらから

第3回目の「みんなに言ってよかったって心から思う」はこちらからご覧いただけます。


●語ること、隠すこと、さらすこと

 

 このあたりで私の自分史の話は終わりまして、今日のタイトルですね。「語ること、隠すこと、さらすこと」。

 

 語る事は「カミングアウト(coming out)」って言いますね。

 カミングアウトってもともと「カミングアウト・オブ・ザ・クローゼット(coming out of the closet)」からきていますね。「押し入れから飛び出す」って感じですよね。

 押し入れの中っていうのは非常に安全なんです。でも風通しが悪いんですよね。そういうとこに入ると安全は安全なんだけど、そして鍵穴からまわりが見えるんですよ、一応。見えるんですけれども、押し入れの中にいるんですよね。そこから飛び出そうよということですね。

 

 それに対して「隠すこと」っていうのは「クローゼット(cloet)」って言いますよね。

 

 そして「さらすこと」ですね。まさに「アウティング(outing)」です。確かにアウティングはダメです。

 

(土肥いつきさん)

これは有名な事件ですが、

「俺もうお前がゲイであることを隠しておくの無理だごめん」。

ちょうど2年前ですか。一ツ橋大学のロースクールの学生がこれをさらされて、死を選んでしまいましたよね。本当に、アウティングということを考えるたびに、このことを思い出す。思い出すというか、新たに心に刻むわけですよね。アウティングって危険です。そのわりに、さっきからめちゃくちゃアウティングしまくってしまっていますけれども…。でも、やはり危険なんですよね。それはそうなんです。


 けれども、でもね、あらためて考えると、「語ること」「隠すこと」「さらすこと」、この間に簡単に線が引けるのかっていう話なんですよね。

 

 例えば、「実は私トランスジェンダーでして」というふうに私がカミングアウトしますよね。私はパートナーも子どももいるんですよ。これに対して当然うちの子どもはまわりの子から「お前の父ちゃん、オカマ」となる。「オカマの父を持つ子ども」というふうにレッテル張りをされるわけですよね。これ、完璧に子どもにとってはアウティングです。私はそう思うんですよ。

 

 たぶん1番最初の幸子の実践。これはもう本当に情けなすぎるんで資料には書いてないんですけれども、やっぱりあれはアウティングだったんだろうなって思うんです、今思うと。

 形は本人のカミングアウトですけど、そのためのとりくみって明らかにアウティングだったなと思うんです。つまり、カミングアウトとは一体何なのかっていうことですよね。アウティングに関する論議って、実はあんまりされていないように思うんですが、カミングアウトをめぐってはいろいろな人がさまざまな論議をしています。

 

第5回目の「カミングアウトをめぐるさまざまな議論」に続きます)