EVENT  「私たちの部落問題vol.2」 第2部土肥いつきさんレクチャー


 第2部前半では、長年人権教育にたずさわってきた土肥いつきさんに「語ること/隠すこと/さらすこと」をテーマに、カミングアウトとアウティングについてのレクチャーをしていただきました。

 生徒たちのカミングアウトに向き合ってきた日々を通して今思うこと、そして「カミングアウト」と「アウティング」の境界線とは…。

レクチャーの内容を再構成したものを、7回に分けて掲載していきます。

第2回目は「本名宣言は1つの到達点であると同時にそこからが本当のはじまりなのです」です。

             

第1回目の「去っていった生徒」はこちらからご覧いただけます。


●「本名宣言は1つの到達点であると同時にそこからが本当のはじまりなのです」

 

 その次の年は「1人じゃなくてよかった」というレポートを書きました。

 

 うちの学校は当時は在日の新入生を集めて「指紋押捺の時には(当時は16歳で指紋押捺があった)公欠がとれるからちゃんと言いに来いよ」とか「朝鮮奨学会という奨学金団体があるからそれの説明をするよ」とか「うちの学校には社研という研究会があるからそこに入ってね」とかそういう話をしてたんですね。

 

 集められた時にみんなとても硬い顔しているんです。「集められてどうだった?」って聞くと「特別扱いせんといてほしい」とか「こんなのやめてくれ」とか否定的な答えが返ってくるんだけど、その中でひとりだけ「1人じゃなくてよかった」って言ってくれた子がいたんです。

この言葉をきっかけに社研のクラブ活動をやっていくんですけど、そういうレポートです。

(土肥いつきさん)

やがてシンジャという子と出会い、1993年に「シンジャのこと」というレポートを書きました。

【もう1人の生徒シンジャは物心ついた時からごく自然に自分は在日であるということを受け入れ、大きくなった。小学校の頃からまわりの大人たちに、

「いいやろ私、韓国人なんやで」

とフランクに話をしていたようだ。そんなシンジャが、たまたま私のクラスに入ってきた。4月の面談の時に社研に勧誘した。シンジャは即座に「いいよ」とオーケーしてくれた。さらに入学時は通名を名のっていたのだが、「2人の時は本名のシンジャって呼んでいい?」と聞くとちょっと照れながら「いい

よ」と返してくれた】


 でも、はじめの頃はシンジャは「韓国人であることに誇りがあるんだから、本名を名のらなくてもいい」と言っていたんです。そんなシンジャでしたが、いろんな子らと出会っていく中で、1年生の最後、「やっぱり私は本名で行きたい」というふうに決めるんです。そんなふうに自ら自分の名前を名のっていったんですね。そのシンジャの本名宣言ていうのが本当にまわりを変えていきました。

「これどうやって読むんですか?」と教員が聞きに来たり、ハンコをどうしようとか、いろんな話が出てくるんですけれども、それを1個1個クリアしながら、本名宣言というのに、学校全体としてどういうふうにとりくんでいくのかということをやるんですね。

 

 このレポートでは最後にこんな文章を書きました。

 

【今シンジャはものすごく元気です。私の家で社研の新入生歓迎焼肉大会をしました。その前にシンジャの本名宣言記念焼肉大会を、シンジャ、ユミ、キホ、キホの姉を呼んでしたのですが、その時はキホが肉を用意してくれたので、シンジャは、今度は私が用意するとやたら張り切っていました。

当日その言葉通り4キロの肉を用意してくれました。ちなみにこの肉が彼女の誕生日プレゼントだったそうです。ユミとも大変良い友達になったそうです。今、シンジャを1つの中心としながら(もちろんユミやキホの存在も大きい)、在日朝鮮人生徒同士あるいは、日本人生徒との交流が徐々に広まってます】

 

 おそらくさっきのレポートとはだいぶ違うんですね。でもやっぱり総括です。

 

【最後に私のスタンスについて少し述べなくてはならないでしょう。シンジャは本名宣言の前に、教壇へ向かいながら、「先生が言え、言うたんやんか」と言いました(これね、「今からみんなに伝えたいことがある子がおるねん」て言った時に、「私が伝えたいってゆったんとちゃう。先生が言えゆうたんやんか」っていうふうに笑いながら言って。そして壇上に登って行ったんですね)。

 これだけを取り出すと私が本名を強制したようにとられるかもしれません。しかし実際には私がしたことといえば本名でいこうかどうしようかと迷うシンジャの背中をちょっと押したくらいのことです。残念ながら今の私には、1人の生徒の生き様にしっかりと食らいついていくような実践力はありません。しかし幸いにも私のまわりには多くの仲間がいて生徒がいます。その間をとにかくちょこまかと動きながら、1人でがんばっている生徒や仲間を結ぶことからはじめようかと思いました。そんな動きの中でシンジャは自ら目覚め本名になったのです。

 本名宣言というものが在日朝鮮人教育の目標のように誤解されることがあります。しかし本名宣言は1つの到達点であると同時に、そこからが本当のはじまりなのです。シンジャの本名宣言はシンジャにとって、私にとって、そしてシンジャのまわりの者たちにとって、まさにスタートとなりました。本当のとりくみはこれからはじまります】

て書いてました。

 

 今これをずっとまとめながら、おもしろいなと個人的には思ったんですよね。幸子の時は

「本名は出発点であると同時に、やはり、1つの到達点であると言える」

て書いてたんですね。そんな私がそれから3年後、

「本名宣言は1つの到達点であると同時にそこからが本当のはじまりなのです」

と書いていて、さっき控室で気がついて「へ~!」ってなったんです。

 

第3回目の「みんなに言ってよかったって心から思う」に続きます)