Q.部落解放同盟の「糾弾」ってなんですか?暴力的で怖いんじゃないですか?


A.

 糾弾は差別への抗議であるとともに、差別の不当性を論理的にあきらかにし、反省を求め、 さらには差別事件の社会的背景もあきらかにすることです。

 

 糾弾という手法は、差別をした者に責任を取らせる法的な救済措置がない中で、被害者の自衛の手段としておこなわれてきました。現状、差別を受けた当事者が個人的に抗議をおこなうことはとても難しく、いわば「泣き寝入り」の状態をしいられています。法務局など国の人権擁護機関はありますが、差別事件を調べるかどうかは任意でしかなく、人権侵害行為をやめさせる権限もありません。2016年12月に「部落差別解消推進法」が成立しましたが、この法律にも「人権侵害に対する救済」や「差別行為に対する規制」はありません。このような状況下では、糾弾は極めて正当な権利であり、自衛権であるといえます(※)。

 

 糾弾については一部政党の差別キャンペーンや伝聞にもとづく「つるしあげ」とか「報復」 といった間違ったイメージが存在しており、部落問題解決の大きな障壁となっています。 差別は加害者にとっては些細なことであっても、被害者にとっては耐え難いものです。 糾弾会の場では被害者が差別をしたものと直接顔を合わせます。当然のこととして怒りがこみあげてきます。また差別した者が反省の色を見せずに居直ることもよく見られます。糾弾会の場は、差別に対して激しい怒りを持っている人たちの集まりですから、言い逃れや開き直りを許さないという雰囲気に満ちています。差別をした者の側から見れば「怖い」という意識がはたらくことは、ある意味当然のことではないでしょうか?

 

 

(てんたろん)

 

 

(※)1988年(昭和63)3月29日、兵庫県でおきた八鹿高校差別教育糾弾闘争事件の控訴審裁判の判決でも「糾弾は、実定法上認められた権利ではないが、憲法第14条の平等の原理を実質的に実効あらしめる一種の自救行為として是認できる余地があるし、また、それは、差別に対する人間として耐え難い情念から発するものだけに、かなりの厳しさを帯有することも許されるものと考える……」と、糾弾を認める判断が示されています。